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先人達の教訓

野村證券の創始者、野村徳七

野村徳七は、明治11年零細な両替商の家に生まれました。徳七は、両替だけでは家業が立ち行かなくなると考え、株の売買取次ぎ業務に進出します。そして自らも、株式相場にのめり込みます。

日露戦争が終結して1年余りがすぎた明治40年1月8日。当時の株式市場は、バブル景気にわいていました。

「相場は、狂せり。」

この日、株価の暴落を予見した徳七の言葉が、大阪毎日新聞に載りました。しかし、株価は、ますます暴騰を続けます。売りに全てを賭けていた徳七は、破産の一歩手前まで追い込まれますが、鴻池銀行(後に合併で三和銀行となる。)の資金援助で辛くも踏みとどまります。

新聞記事から13日後、ついに待望のガラ(暴落)が始まりました。山高ければ谷深し。大阪株式取引所株は、年初の775円から、年末にはたったの92円に暴落したのです。

この相場で、徳七は、500万円(今の価値で数百億円)を稼ぎ、後の野村證券の礎は築かれたのです。

その後も彼は、第一次世界大戦中の船株相場、その後の反落相場を的中させました。また、事業家としての野村徳七翁は、調査部門を強化した近代的な日本一の野村證券を育て上げたばかりでなく、野村銀行(後の大和銀行)、野村生命(後の東京生命)などの企業も発展させ、ついには、野村財閥の総帥になったのです。

徳七翁は、太平洋戦争の終戦の年、67歳の生涯を閉じました。

(参考文献 相場は狂せり―野村証券創始者・野村徳七の生涯 徳間書店 木村勝美著)

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